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「セカンドアフター臨時増刊号 日常系アニメのソフト・コア」の感想

首題のリンクは以下の通り。ここでは「ソフト・コア」と呼ぶことにする。
https://www.dropbox.com/s/r58fg2n6sxvoeda/softcore.pdf?dl=0 
特にイントロダクション部・日常系部(ポスト日常系部は含まない)についての感想(考えてる事の整理もついでに)。

まずはイントロダクション部の感想から。

例えばアニメを視聴した感想を述べるにあたって、「日常系」や「空気系」ということばそのものについて、明確な定義をして話すことはあまりないと思う。日常系・空気系の定義をすることが目的でもないだろうし。

一方で商業誌の文芸評論(?)などにおいて日常系・空気系が取り上げられることもあるけれど、そういったときにはある程度ちゃんとすべきだ。後発の評論はだいたい「ゼロ年代の想像力」「セカイ系とは何か」あたりの議論をベースにしているようである。そこでは日常系・空気系とは、おおまかに言って「無物語・無時間・無異性」という特徴を有する作品を指すものとして理解されてきたように思う(後に「『空気系』という名の檻」で批判的に分析された)。

では、「ゼロ年代の想像力」「セカイ系とは何か」は何を参照しているかと言うと、2006年頃のネットでの議論だという記述がある(「セカイ系とは何か」ではセカイ系の由来として「ぷるにえブックマーク」を挙げられている。空気系の由来については明示されていない)。その空気系の由来とは、「樹海エンターテイナー」であると確定して良いようだ。日常系の由来ははっきりとしていない。

「ソフト・コア」では、現在認識されている日常系・空気系は当初の意味から若干乖離しているように見えることについて、あまり元の発言を金科玉条のごとく持ち上げるべきでもないだろう、とのこと(私からすると、逆にあまりに無視されすぎているのでは?とも感じるけれど)。それでも「樹海エンターテイナー」を参照すると、「よつばと!」「あずまんが大王」「ARIA」「苺ましまろ」「ヨコハマ買い出し紀行」「ぱにぽにだっしゅ!」などを挙げて「物語全体を通したテーマにクライマックスシーンを持たない」「その仮想世界・仮想空間の雰囲気を描くことに重点を置いている」という傾向を見いだしている。

ただし「樹海エンターテイナー」では「エロゲーの冗長化は空気系作品群への歩み寄りではないか?」という記述など、いまから見ると時系列を無視しているとわかる箇所があることに注意しなければいけないと思う。また、以前はネット上でも閲覧できた「『空気系』総論」は2007年に書かれたものだが、そこで論じられているのは、空気系作品の主題が現れる場面はキャラクターのいつもの日常であるということの特殊性であった(萌え4コママンガについても記述があり、「『空気系』総論」の内容検討もしたいところ)。

「ソフト・コア」で述べられている日常系の由来について。確かに、当時(2006年)「萌え理論」で空気系への対比として「日常系」と言う言葉が用いられている。しかしこれが現在の日常系と関係しているとは考えにくい。「空飛ぶ馬」などに代表される「日常の謎」派の作品をファンが日常系と略して呼ぶことがあったようだが、もしかしたらこれが現在の日常系へと派生していったのかも知れない(あくまで呼び方が、ということ)。「マイクロポップと萌え四コマ」では「涼宮ハルヒの溜息」のコピー「ビミョーに非日常系学園ストーリー」に注目している(その2年前に同じ角川スニーカー文庫から出た「氷菓」がアニメ化の前から日常系学園ミステリなどと呼ばれていたことは私的に関心がある)。

商業誌で日常系・空気系の議論が盛んになった時期が震災の前後であったため、震災に引きつけて語られる場合もあった。そのような中で、震災が起きて日常が崩れることを経験・認識してしまった後では日常系・空気系は意義を失ってしまうといった分析もあった(私見ではむしろ震災後にも日常系・空気系の作品があることが大事なような気がする。そういえば、「樹海エンターテイナー」では「神戸在住」も空気系の範疇に含められていた)。そういう捉え方でなくとも、日常系・空気系という括りは今日性を失いつつあるという気分が「ソフト・コア」でも共有されていたようだ。ただ、「ソフト・コア」では主に「京都アニメーション」が一時期日常系アニメを続けて制作し、その後方向転換したように見えることに関心が向いており、そのことに起因しているとも言えると思う。

また、「ソフト・コア」では、日常系について、その示すところが非日常と対比させられるものではなく、重要な対立概念は「生活」なのではないか、と提起される。このような議論は別の場所でもいくつか見る。「メディアにおける/としての『魔法少女まどか☆マギカ』」や「時間ループ物語論」などが現在でも入手可能なはず。そして、このような生活のどうしようもなさが作品に反映されるとすれば、「失われた10(、15、20)年」の結果(「デフレカルチャー」)であると言えるかもしれない。

続いてシンポジウムで登壇された方々の各論について。

「日常系アニメにおける視点間の差異」は(1)没入している空間を見ているキャラクターの視点と(2)そのキャラクターを死角から見る視点による生の肯定に関して論じられている。その中で分析されているように、日常系・空気系はメランコリックやノスタルジーに覆われかねないという指摘は感覚的にだけれど共感した。昭和30年代ブームにまで関連させることができるかも知れない。「終わりなき日常の憂鬱」の分析では、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! 大人帝国の逆襲」における敵役のケンのことを「『無限の豊穣な可能性へと開かれた未来』の不可能性を知悉しつつ、それを戯画的にでも現在に呼び出すことによって、現在の変革を狙っていた」「アイロニカルな革命家」だと呼んでいる。

「『日常系』で得られる快楽の極みとしての『ゆゆ式』」で論じられる「じわじわ感」は、「樹海エンターテイナー」で論じられていたような傾向と近いように感じた。(私の理解では)両者とも、日常系・空気系の作品を読む目的が、キャラクターの感受性とか、作品世界のいつものありかたとかといったことを理解したい、という志向を基準にしていると述べている。目的が達成されるときにはキャラクターが日常性の範疇にいて、そのため、キャラクターの感受性が理解できたりだとか、作品世界のありかたがキャラクターの日常的な視座によって理解される(これは「日常系アニメにおける視点間の差異」の(1)没入している空間を見ているキャラクターの視点、の側の見方かと。そして、日常系・空気系がなぜ泣けると言われるのかについては(2)そのキャラクターを死角から見る視点、が関係していると思う)。

前半終了。この後はポスト日常系についての分析が続くが、すいません、省略します。


参考文献(不完全版)
[1] 宇野常寛 : "ゼロ年代の想像力--「失われた10年」の向こう側(第9回)「成熟」をめぐって--新・教養主義の可能性と限界," SFマガジン 2008年3月号, pp. 206-213 (早川書房, 2008年, 1月).
[2] 前島賢 : "セカイ系とは何か--ポスト・エヴァのオタク史," ソフトバンク新書 (2010年, 2月).
[3] 広瀬正浩 : "『空気系』という名の檻--アニメ『けいおん!』と性をめぐる想像力," 言語と表現 10, pp. 7-22 (2013年, 3月).
[4] "『空気系』とでも呼ぶべき作品群について。," 樹海エンターテイナー, リンク切れ (作成 2006年, 9月, 3日, 参照 2011年, 5月, 13日).
[5] "『空気系』総論--萌え4コママンガと萌えギャグマンガとスローライフコミック," Journal of OTAKU Culture and Society, pp.  9-12 (2007年, 6月).
[6] "「場所立ち」と日常系・空気系・世界系," 萌え理論, http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060909/p3 (作成 2006年, 9月, 9日, 参照 2015年, 3月, 22日).
[7] "マイクロポップと萌え四コマ," 批評週間臨時増刊号--モダニズムのナード・コア, pp. 58-59 (betweens!, 2010年, 12月).
[8] さやわか, ばるぼら : "メディアにおける/としての『魔法少女まどか☆マギカ』--オタク/サブカルの終わりと一〇年代," ユリイカ 2011年11月臨時増刊号, pp. 212-225 (青土社, 2011年, 10月).
[9] 浅羽通明 : "時間ループ物語論--成長しない時代を生きる," 洋泉社 (2012年, 10月).
[10] 速水健朗 : "デフレカルチャー," 講談社 現代新書カフェ, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=8, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=10, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=12, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=14, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=18, http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=19 (作成 2010年, 6月, 18日 ~ 2010年, 11月, 18日, 参照 2015年, 3月, 22日). ※なお以下を参照し、取得漏れ等ないことを再確認しました(田中秀臣 : "速水健朗「デフレカルチャー」," http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110219%23p3.)
[11] 北田暁大 : "補遺 あるいは続編のためのノート--終わりなき日常の憂鬱終わりなき日常の憂鬱," 増補 広告都市・東京--その誕生と死, pp. 175-215 (注, pp. 221-223), ちくま学芸文庫 (2011年, 7月).

(2015/3/22 追記) 参考文献など修正
(2016/9/6 追記)  久しぶりに修正

まとめ

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